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4. 知っていた方が良い日本史(その3)
(3) 1945年第二次世界大戦終戦後のウズベキスタンのナヴォイ劇場建設
① 第二次世界大戦終戦後のウズベキスタンでの強制労働
第二次世界大戦が終わった時、満州(今の中国)で捕虜となった日本兵を、ソ連(今のロシア)はシベリアなどで森林伐採や鉄道建設のために強制労働させました。
そして、そのうちの一部の日本兵に対し、戦争で工事が中断していたナヴォイ劇場を完成するように命じたのです。
工事を命じられたのは457人の部隊で、隊長の永田大尉は25歳でした。
彼が考えたのは、隊員たち全員を無事に日本へ帰国させることでした。そしてさらに劇場を、捕虜が作った手抜き仕事と言われるものではなく、日本人はすごいと尊敬されるような立派な建物にしようと考えたのです。
捕虜としての強制労働は苦しく、十分な食事も与えられず、お風呂もまともに入れませんでした。
そんな悪環境下、ロシア人が見張っていなくても、手抜きもせず、一生懸命に劇場建設に取り組む日本人を見て、地元のウズベキスタン人も次第に日本人に敬意を表し、そっと食事を差し入れすることもありました。
子どもたちがパンを差し入れた時には、数日後、同じ場所に日本人が木で作った玩具が、お礼の意味で置いてあったそうです。
日本人の活躍もあり、ナヴォイ劇場は2年で完成しました。ほとんどの日本人も無事に帰国することができました。
② 1966年 タシュケント大地震
それから19年後の1966年、タシケント市は直下型の大地震に襲われ、街はほぼ壊滅しました。
しかし、その中でナヴォイ劇場だけは壊れることなく、避難所として大きな役割を果たしました。
大地震に耐えたナヴォイ劇場の話は、日本人の技術の高さや勤勉さ象徴する話として、ウズベキスタンから中央アジアの各国に伝わり、それらの国では今でも親日家が多いのです。
③ 1991年 ウズベキスタン独立
ウズベキスタンは1991年のソビエト崩壊と同時に独立しました。
ナヴォイ劇場には「日本人の捕虜が建てた」と建設当時に書かれた石碑がありましたが、新しい大統領は「彼らは恩人だ、間違っても捕虜と書くな」と命令して、「日本国民がナヴォイ劇場の建設に参加し、完成に貢献した」と書き直させたそうです。