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5. 知っていた方が良い日本史(その4)
(4) 杉原千畝「命のビザ」
① 第二次世界大戦末期
杉原千畝(すぎはらちうね)は第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアで、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしたことで知られています。
2004年にリトアニアの切手に杉原千畝が肖像として使われました。
「シンドラーのリスト」という映画もあるほど有名なドイツ人のオスカー・シンドラーも、第二次世界大戦末期に、多くのユダヤ人の命を救ったことで知られる人物です。
杉原千畝は「東洋のシンドラー」と呼ばれています。
杉原千畝は、人道的な見地から、独自の判断で、リトアニア人、旧ポーランド人にビザを2132枚発給するのです。
その中には、ユダヤ人へのビザが約1500枚ありました。ビザは、1家族につき1枚あればよかったことから、杉原千畝が「命のビザ」によって救ったユダヤ人の数は、少なくとも6,000人に上ると言われています。
現在、その子孫は25万人以上にも及ぶと言われています。
② 1947年 外務省退職
1947年、日本へ帰国した杉原を待っていたのは、独断でビザを発給したことの責任による、外務省からの辞職勧告でした。
③ 1968年 ニシュリ参事官との再会
杉原の命のビザで救われたユダヤ人たちは、杉原のことを忘れておらず、杉原を探し続けました。
1968年、杉原に救われた1人である、イスラエル大使館のニシュリ参事官と杉原は再開することになるのです。
④ 1985年イスラエル政府から賞を受賞
その後、1985年、杉原は、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を受賞します。
⑤ 2000年 名誉回復
1947年に外務省を辞めさせられてしまった杉原でしたが、2000年に日本国政府による公式な杉原の名誉回復が行われました。
杉原本人は既に1986年に亡くなっていましたが。