1. はじめに
人生最大のピンチがきたら、10代のあなたはどうしますか?
「最悪だ~」と逃げたくなるかもしれません。
でも、実はピンチは宝物なのです。
チャンスは、ピンチの顔をして、自分のところにやってくるのです。
将来、人生を振り返った時に、あのピンチがあったからこそ、自分が成長・成功できたと感謝するときが必ずくるのです。
2. パパの体験談(その1)
まずは、パパの体験談を書いていきます。
その後、偉人の方々について、触れたいと思います。
(1) 中学1年生の学級委員
パパが中学1年生になって、クラスの学級委員を決めるとき、誰も立候補者がいませんでした。
先生が誰か学級委員に推薦できる人はいないかと確認したとき、友達からパパだけが推薦されて、パパが学級委員になってしまったのです。
当時は、自分でクラスをまとめられるだろうかとか、みんなの前で堂々と話すことができるだろうかなど、心配ごとが多すぎて、帰宅して、たくさん泣きました。
しかしながら、腹をくくって学級委員をやってみると、次第に軌道に乗って、自分で言うのもなんですが、学級委員が板についてきたのです。
その後は、中学2年、3年と毎年、学級委員となりました。
思ってもいない学級委員にされてしまったという大ピンチは、結果的に大チャンスとなり、大きく成長を遂げることができたのです。
クラスのみんな、ありがとうございます!
(2) 中学3年生の合唱コンクール指揮者
中学3年生のとき、合唱コンクールの指揮者を誰もやりたがりませんでした。
パパもピアノを習っている人や、吹奏楽部の人がやればいいんじゃないのなんて気楽に考えていたのです。
ところが、剛腕の担任の先生から、パパが指揮者に強制指名されてしまったのです。
このときも、家に帰って泣きました。
しかしながら、覚悟を決めて、指揮者の猛練習をしたのです。
合唱コンクールの曲は、女子がソプラノとアルト、男子がテノールとバスのパートに分かれていて、4つのパートをすべて必死で覚えました。
合唱コンクール本番を迎えた日、指揮者の立つ台の上に指揮棒が置いてありました。
今まで持ったことがないのに、緊張のあまり、指揮棒を持って指揮をしてしまったのです。
最後、ビシッと止めないといけないのですが、緊張のあまり、手が震えて、指揮棒の震えがクラスのみんなには分かって、後からおもしろおかしくいじられました。
しかしながら、体育館で見ていた先生や生徒からは大絶賛で、優勝してしまったのです。
その後、市内の大会にも代表で出場し、そこでもクラスのみんなの歌がうまいおかげで、圧倒的なパフォーマンスを残してしまったのです。
指揮者なんて絶対できない、すごい大ピンチと思っていたけど、結局は、指揮者も結構楽しいことが分かってしまったのです。
担任の先生、ありがとうございます!
3. パパの体験談(その2)
(3) アメリカ大学院留学
パパは大学生まで、海外に旅行も行ったことがなく、英語も大学卒業時、初めて受験したTOEICが400点しかありませんでした。
そんなパパでしたが、社会人になってからも英語の勉強は続けTOEIC 690点まで点数を上げていました。
そんなときに、ふと、会社の上司から、アメリカのA大学院に留学してみないか?と聞かれることになるのです。
英語のできる同期の社員がいっぱいいるのに、なんでパパが?と思いました。
TOEIC 690点では、アメリカのA大学院の入学には箸にも棒にもかかりません。また、10か月以内に試験で結果を残さなければいけない状況でした。
まさに、最大のピンチです。
せっかく上司に良い機会を頂いたのに、入学できなかったらどうしようと心配で心配で、一晩、悩みに悩みました。
結局は覚悟を決め、英語の猛勉強を始めたのです。
結果は、アメリカのA大学院に無事入学することができました。
その後は、日本にしか住んだことのない大学卒業時のパパでは思いもつかないような、欧米亜4ヵ国も駐在する生活となるのです。
上司のXさん、ありがとうございます!
(4) 本の出版
上司から、ある日、相談があるからと突然呼ばれました。
上司のところに行ってみると、「仕事の専門分野に関係する本を出版したい」、「私(上司)が監修者をやるので、〇〇さん(パパ)が監修補佐となって、社内のプロ10人を集めて本執筆をまとめて欲しい」と依頼されました。
大ピンチです。
正直、最初は「ギョエーッ」と思いました。「本なんて、執筆したことないんですけど…」と内心、すごく弱気な自分になっていました。
しかし、これも覚悟を決めて、笑顔で引き受けたのです。
通常業務と本執筆の同時並行で多忙を極めましたが、出版社や社内のプロ10人の方々とうまく出版プロジェクトを進めました。
結果、高い値段の専門書としては、大成功の販売部数となったのです。
本執筆のプロセスや、著作権料(会社に入りますが)の交渉など、貴重な経験ができ、また、社内のプロの方々ともネットワークができてしまったのです。
上司のYさん、社内のプロ10人のみなさま、編集者の方、ありがとうございます!
4. パパの体験談(その3)
(5) 大型グローバル・システム開発プロジェクト
会社で、日本を含めて10か国以上に同時にシステムを導入しなければならない大型プロジェクトがありました。
そのシステム導入には、社内では国内外の営業部門と、社外では業界関係者の方々と厳しい調整が必要で、かつ、若干高度な理系の知識も必要でした。
システム開発者も含めると、そのプロジェクトには、数百人が必要で、そのための巨額の予算確保、人員確保も必要でした。
なんと、そんな大変な大型グローバル・システム開発プロジェクトのリーダーに、パパが選ばれてしまったのです。
大ピンチです。
今まで取ったことのないレベルの高額予算の確保、人員削減を進めている中の人員確保、国内外関係者との調整等、胃が痛い日々が続きました。
しかしながら、最終的に、プロジェクト内のみなさまが優秀だったこともあり、無事、システムをリリースすることができたのです。
同時に、業界の関係者の方々ともネットワークができてしまったのです。
プロジェクトのみなさま、業界関係者のみなさま、ありがとうございます!
5. 偉人の名言
「ピンチはチャンス」であることが理解できる、偉人の方々の名言を紹介します。
(1) 本田宗一郎(本田技研工業(ホンダ)の創業者)
「人間に必要なのは困ることだ。絶体絶命に追い込まれた時に、出る力が本当の力です。」
「私のやった仕事で本当に成功したのは、全体のわずか1%にすぎない。99%は失敗の連続であった。その実を結んだ1%の成功が現在の私である。その失敗の陰に、迷惑をかけた人達のことを私は決して忘れないだろう」
(2) 羽生善治(将棋界の現役レジェンド棋士)
「成果が出ない時こそ、不安がらずに、恐れずに、迷わずに一歩一歩進めるかどうかが、成長の分岐点であると考えています。」
(3) イチロー(元プロ野球選手・レジェンド)
「壁というのは、できる人にしかやってこない。超えられる可能性がある人にしかやってこない。だから、壁がある時はチャンスだと思っている。」
(4) 斎藤一人(日本一の高額納税者)
「困ったことが起きたら『面白いことが起きた』と言ってみな。奇跡が起きるから。」
(5) 石原慎太郎(元東京都知事)
「もし、君が年老いて過去を振り返る時が来たなら、危機は自分の人生を充実させた最も幸福な瞬間であったことに気づくだろう。」
(6) ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)
「人類史上の進歩のほとんどは、不可能を受け入れなかった人々によって達成された。」
6. 禍を転じて福と為す
「禍を転じて福と為す」(わざわいをてんじてふくとなす)という故事成語があります。
これは、「災難や不幸を逆に利用して、いい結果に結びつけること」を意味します。
由来は、「史記―蘇秦伝」に出てくる、弁論家の蘇秦の言葉です。
紀元前四世紀、中国の戦国時代、斉という国が、隣国の燕に攻め込んで領地を奪ったときのこと。
蘇秦は、燕王に頼まれ、領地の返還を交渉しに斉に赴きました。
彼は斉王に会うと、まず、燕の太子の夫人が、強大な秦国の王の娘であることを指摘して、「今に秦が攻め込んで来ますよ」と脅かします。
その上で、「昔から『禍を転じて福と為なす』という言葉があります。奪った領地を返してやれば、燕だけでなく、秦も喜びますよ」と述べました。
そして、「この両国が斉になびけば、王の威信はますます高まることでしょう」と説得すると、斉王はこの策に従ったということです。
<引用元>
はるか大昔から、ピンチはチャンスだったのです。
7. 最後に
美味しくない梅しかないという「ピンチ」を、梅干しにして大儲けの「チャンス」に変えた人がいます。
すっぱくて売れないレモンしかないという「ピンチ」を、レモネードにして大儲けの「チャンス」に変えた人がいます。
ピンチはチャンスであり、チャンスはピンチの顔をして自分の前に現れるのです。
人生に無駄なことはひとつもなく、すべては「必要」、「必然」、「ベストなこと」なのです。
自分にはできないかもしれないなと思うことを、他人から頼まれた場合、まずはやってみることです。
イチロー選手も言っている通り、この世では、自分と周囲の人々で解決し成長できるギリギリ難度レベルの問題しか起きないのです。
そのピンチを乗り越えると、後から、チャンスであったことが分かるのです。
ピンチがチャンスであることを理解できれば、ピンチにも感謝できるようになり、ぐんぐん成長しながら楽しく生きていけるでしょう!
パパより