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4. 「いばっちゃいけない、なめられちゃいけない」の好事例
(1) 徳川家康
徳川家康は非常に慎重な武将でした。
あるとき、下級武士たちと崖みたいなところを通ることがあり、「馬の名人」と言われるほどの家康が、どうやってあそこを渡るのか、みんな注目していました。
ところが、家康は馬から降りて、馬の後ろから歩いていったのです。それぐらい、家康は用心深いのです。
これだけだと、下級武士たちになめられてしまう可能性があります。
しかしながら、こんなに用心深い家康が、武田信玄が攻めてきたとき、天下の武田騎馬隊に猛然と突撃し、一騎打ちを仕掛けたのです。
この一つのできごとで、もう誰も家康をなめなくなるのです。
(2) 孫子の兵法「将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり」
「孫子(そんし)」という書物は知っているかな?
紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家「孫武」の作とされる兵法書で、古今東西の軍事理論書のうち、最も著名なものの一つです。
「孫子」以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かったのですが、孫武は戦争の記録を分析・研究し、勝敗は運ではなく人為によることを知り、勝利を得るための指針を理論化して、本書で後世に残そうとしました。
ソニー創業者の一人の盛田昭夫さんや、ソフトバンク創業者の孫正義さん、マイクロソフトのビル・ゲイツさんなど、世界的に有名な経営者の方々が「孫子の兵法」を愛読し、経営に活かしていると言われています。
そんな「孫子の兵法」から「いばっちゃいけない、なめられちゃいけない」の好事例を一つ紹介します。
<引用元>
https://web.fisco.jp/FiscoPFApl/SelectedNewsDetailWeb?nwsId=0009330020180918005
紀元前500年前、中国の春秋時代の軍事家・孫子が残した「兵法」に記されている「将在外,君命有所不受」。これは実際に孫子が呉王の命令に背いて、呉王の二人の妃を殺した時に言った言葉でした。なぜ孫子は王の命令に背いてまで妃を殺したのでしょうか? また愛する妃を殺された王をどのように納得させたのでしょうか?
孫武(孫子)は書き上げた「兵法十三編」を呉王に差し出したところ、無名だったため能力を疑われました。「女官たちを訓練して能力を示せ」これが孫武に与えられた試練でした。
すなわち、「なめられていた」のです。
命じられた孫武は、まず女官たちを左右二つの軍に分け、それぞれの長に呉王が愛する二人の妃を任命しました。
しかし長として選ばれた2人の妃は、ヘラヘラとはしゃいでばかりで孫武の命令に全く従わず、他の女官たちも腹を抱えて大笑いしている始末。
仕方なく孫武は、命令を聞こうとしない2人の妃を殺すことにしました。
呉王の使いが慌ててやってきて、「あなたが私の愛する姫を殺せば、私は食事を食べても味がしない。孫武将軍の軍を指揮する能力を認める。2人を許してやってくれ」と、皇帝の命令が伝えられました。
それを聞いた孫武は「軍に冗談はない。将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり」と言ってその二人を殺しました。
その後、太鼓を打てばすべての女官は従い、軍の練度は飛躍的に高まったのです。
もう、誰も孫武をなめなくなりました。
訓練を終えた後、孫武は呉王に報告するために宮殿を訪れましたが、二人の妃を殺された呉王は不機嫌でした。
孫武は恐れることなく「賞罰言明、軍事は法に則(のっと)るのが常であり、軍を治める法則です。このようにすれば兵は必ず命令に従い、必ず敵を打ち破り勝利を得ることができます」と説明しました。
呉王もまた度量のある王でした。この話を聞くと呉王の怒りは消え、孫武を将軍に礼拝しました。
その後、呉は孫武の兵法によって春秋時代の五覇の一つになったのでした。