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4. 日本人が恥を恐れる要因(その2)
(2) 論語
2024年から新しく発行される一万円札の肖像は誰になるか知っているかな?
そうです。近代日本経済の父である渋沢栄一です。
渋沢栄一の有名な著書に「論語と算盤(ろんごとそろばん)」があります。
1万円札の肖像になるくらいの偉人が大事にしていた書物が「論語」なのです。
「論語」は孔子(こうし)とその高弟の言行を、孔子の死後に弟子が記録した書物です。
その内容の簡潔さから儒教入門書として広く普及し、中国の歴史を通じて最もよく読まれた本の一つで、古くからその読者層は知識人に留まらず、一般の市民や農民の教科書としても用いられていました。
「儒教」とは、孔子が始祖として目される、中国やその周辺の東アジア諸国で信仰・研究されていた宗教、学問、および、古代から伝わる神話や制度、習俗などの集合体のことです。
孔子は「論語」で、「恥」が悪から善に向かわせる内面的な動力であると説き、恥の観念は、道徳や礼儀によって養われる内面的な倫理意識であると述べました。
儒教が中国の正統思想として公認されるようになると、この廉恥(れんち。心が清らかで、恥を知る心のあること)の徳は儒教中心道徳とされ、儒教を「廉恥の教え」と呼ぶようになりました。
「恥と名誉は互いに表裏をなしている。名誉を失うことが恥であり、不名誉はそのまま恥である」と説かれています。
このように、日本では、長い歴史のあいだ、
「恥」=「不名誉」
という公式が刷り込まれているのです。
5. 『「恥」=「不名誉」』が行き過ぎるとどうなるのか?
儒教・論語、武士道などを通じて、日本の歴史で長いあいだ、刷り込まれてきた公式
「恥」=「不名誉」
には、良い面がたくさんあります。
しかしながら、行き過ぎると支障をきたす考え方でもあるのです。
「恥」=「不名誉」の気持ちがあまりに強くなりすぎると、チャレンジ精神が奪われてしまうのです。
新しいことに挑戦した場合、10回に9回くらいは失敗します。
失敗して恥をかきたくない、不名誉になりたくないと考えると、新しいことにチャレンジしないことが最善となってしまうのです。
以前の記事で、プロダクト・ライフサイクルについて説明しました。
S字カーブの成熟期・衰退期に、新商品・新ビジネスを産み出していかないと、会社は倒産してしまいます。
すなわち、そんな会社ばかりだったら、日本は衰退していくしかなくなってしまうのです。
日本人の多くが「恥」=「不名誉」の考えを重視し過ぎて、新しいことにチャレンジしなくなったら、日本は衰退していくしかないでしょう。